キリギリスの雑記帳
キリギリスの雑記帳

第17話
カルカッタにて


「カルカッタは最もインドらしい街だ。」・・・何人かの旅行者からそう聞いていた。

「最もインドらしい街」というのは、旅行者が気楽に楽しくリゾートっぽく、快適に旅行できる街・・・の正反対を意味していることは明らかだ。

緊張感あるインドの旅の中でも、列車で深夜カルカッタのハウラ駅に到着したときは一段と緊張して、気を引き締めたものだった。

駅から一歩外にでると・・・雑踏、怒鳴り声!・・・押し寄せるリキシャやタクシーの運ちゃん達、大混雑・・・

やっぱり、これが「最もインドらしい街」なんだ。



街を走るタクシーはインド製のボロ車で、クラクションが傑作だ。

電気的に音を出すのではなく、運転手が窓から手を外に出して、ラッパの根元についた袋の空気を押し出す。

パフーッ! と、なんとも滑稽なクラクション。



信号は少ないが、あっても無いに等しい状態だ。

交差点で東西方向を走るクルマ(ほとんどがタクシー)、リキシャ(人力車)、オート三輪やバスなどに対抗して、南北方向を走るクルマたちがジワジワと道路に迫り出す。

かなり危険な状態まで迫り出し、東西方向のクルマの群れがあきらめて走行をやめたところで、一気に南北方向を走るクルマたちが主導権を握って飛び出す・・
・・
こんな状態の超危険な交通ルール?


人力車からバス、タクシーまで、速度の違うさまざまな車両が混雑した道路をひしめき合っている。


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貧乏旅行者の間では有名なモダンロッジに泊まる。

着いた翌日から熱っぽく、風邪をひいたようだ。

さらに腹の調子が悪く、下痢が続いていた。

べつにカルカッタに長く滞在するつもりはなかったが、体調が悪かったために、直るまで2週間も滞在する羽目になった。



この旅先では、多くの印象深い人たちと一期一会の出会いがあり、素敵な人も多かったが、しかしこのカルカッタのホテルには、そういう人はいなかった。

宿は大人数のドミトリー(相部屋)だが、私が泊まった部屋の客は全部日本人だった。



丁度3月に入り、日本から「卒業旅行」と称してインドに来たばかりの大学生たちが多くやってきたが、

「どこで何をどれだけ安く買った。」とか、「いくらに値切った。」「インド人にどれだけ物を高く売った。」とか、そんな話ばっかりだ。

「自分はインドに来る前に、家族や友人に遺書を書いてきた。」という人・・・
いったい何を考えているんだ?

この人は日本からトイレットペーパーをたくさん持ち込み、決してインド式のトイレ(紙は使わない)に馴染もうという気はないようだった。



そうかと思えば、「俺達は長いですからねー」という言葉を連発し、いかに長期間インドに滞在しているかを自慢ばかりしている輩・・・

格好はヒッピーじみているというよりも、ただ単にだらしなく、会話も妙に間延びして限りなくだらしない。
そして、そういう態度物腰であることが、インド慣れしている証でもあるかの如くの言い方・・・


  「ああ、日本人って、こんなに馬鹿ばっかりだったのか!」

そう思わずにはいられない、馬鹿の空気が漂う相部屋だったが、体調が良くなるまで私はこの安い宿で我慢して養生していた。


「ホーリー祭り」に集まった人々
街に出ると誰彼となく色水をかけられる もちろん私も・・

子供は必ずカメラの前にやってくる


カルカッタを走るリキシャは、他の街とちがって自転車式ではなくて本当の「人力」車だった。

この人力車のカタカタという音が下町情緒をかもし出している。

私が訪れたときは乾季だったが、雨季に訪れたことがある人の話では、雨季には街中水浸しになることが頻繁にありタクシーなどは走れなくなるが、そういうときに一番活躍するのが人力車なのだそうだ。



外では、きたない服を着た子供たちがはつらつと遊んでいる。

ベンガル地方の人は、どことなく日本人と似ていて、南インドあたりの神秘的な感じはあまりしない。



いつも通る散歩ルートには、クリシュナという名の麻薬売人のおっさんがいて、出会うたびに「ハローミスター!」といって抱きしめられた。

団子状にまるめたハシシを1個2ルピー(60円)で売っている。

クリシュナの縄張りのほど近くには、ガンジャ(大麻の葉)売りのおばあさんもいた。ガンジャ1袋1ルピー(30円)だ。

彼らはいつも相手の商品をけなして、自分が売るモノのほうが品質がいいと言っていた。

宿命のライバルか? その様子が本人たちは真顔だが、滑稽でしょうがない!



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路地にはいつもゴミが散らばっている。

しかし、街を闊歩している「聖なる」牛たちが、それらのゴミを食べてくれるので、街はいつも少し汚いながらもそれ以上に汚くなることがない。

インドではプラスチックやビニールはほとんどお目にかからなかった。

日本に帰国してから読んだ本で知ったのだが、インドでは当時、国策として分解不能なプラスチックやビニールは、環境維持の観点からつくらなかったのだと書いてあった。もちろん技術的には製造可能なのだけれど・・・



人々は食事やお茶のあと、その容器を無造作に周囲に捨てたりする。

一見無作法で、環境のことなど全く考えていないように見える。

でも、容器といっても大きな木の葉を編んだものだったり、チャイの容器は素朴な素焼きの焼き物なので、いずれも牛の餌になるか、土に還ってしまうのだ。

つまり、分解不能なゴミはほとんどない。しかも牛などの掃除屋がいる。

街はいつも、少し汚いけれどそれ以上に汚くなることがない!

このあたりは感心させられるところだった。


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牛といえば、ヒンズー教徒は牛を大切にしているということになっているが、見ているとそう大切にされている感じでもない。

邪魔になると、蹴飛ばされたりして追い立てられていて、結構乱暴にあつかわれていた。

   でもその程度だ・・・

傷つけたり殺したりすることはまずない。

牛を崇め奉っているという風ではなく、虐待しているわけでもない。

同じ土地にうまく共存しているだけ・・・といった感じだった。

この辺の、両極端にならない付き合い方にも感心させられた。


ダージリンへ向かう「トイ・トレイン」
小さくて非常に遅く、走っている列車から飛び降りて走り、
再び飛び乗ることも十分可能  実際やってみた



カルカッタでは約2週間滞在したが、体調も回復したので紅茶で有名なインドの避暑地ダージリンを経由してネパールのカトマンズへ帰ることにした。

ダージリンへは鉄道でニュージャルパイグリというところまで行き、そこからおもちゃみたいな汽車(実際、「トイ・トレイン」と呼ばれている。)に乗っていく。

山道をそのまま汽車が走っているという感じで、スピードはとても遅い。 人が走って追いかけても十分追いつくことができる。


シリグリという地方では、人々の顔立ちが日本人(の田舎者)にそっくりで、駅のホームにいたある地元の若者は、私の顔を見て、あなたはどこから来たんだと言って驚いていた。


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ダージリンでは、遠くヒマラヤを望むことができる。 世界第3の高峰カンチェンジュンガが聳えていた。


ここは高地なので寒い。 吐く息も白い。

寒いせいか、セーターやポンチョ、マフラーなどをしている人が多く、それも実にカラフルで魅力的だ。

人種は、ネパール系、チベット系が多く、もうインドではないみたいな気分になる。



ここは坂の町であり、私のような街中方向音痴には都合がよい。

急な坂にへばりつく、木や土やレンガで造られた、ゴチャゴチャとした、しかしカラフルな家並みは、見ていてまるで楽園にいるようだ。 路地には、ニワトリやヤギ、素朴な遊びに熱中している子供たちがあふれている。

ホテルやレストラン、郵便局などの人たちも愛想がよく、ちょっと恥ずかしげに、ちょっと控えめなところも日本人に似ている。
インドの平原地帯の街ではもう完全に直接的だったので、その差が際立つ。


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泊まっていたパゴダホテルには、私と同い年くらいのネパール人の若者が二人いて、彼らは仕事をしながら一日中歌っていた。

トイ・トレインの汽笛が、ダージリンの谷間にヒョーッと長く響き渡るのは、何ともユーモラスで楽しくなる。 そもそもこんな山の上まで鉄道を敷くという発想自体がユーモラスだ。 イギリス人の発想だろうけど・・



坂道の多いチョークバザールに夕方行って見ると、各店はいっせいにランプを灯し、いろんな民族の、味のある人々で賑わっていて、実にエキゾチック。 実に素適だ。

ダージリンは居心地が良く、1週間ほど滞在してあちこち散歩して歩いた。
ある民家では庭で女性がギターを弾いていたので、図々しくも庭に入れてもらい、ギターを借りて弾かせてもらったりした。

ダージリン ・・・ いいところだなぁ~


様々な民族が行きかう ダージリンのバザール

旅行記 目次

第1話 旅の序章、 第2話 入国拒否、 第3話  強盗だー!、  第4話 TOMODATI!、 第5話 聖地の大晦日、 第6話 泥棒もひとつの「職業」、  第7話 船旅、  第8話 ヒッピーの聖地(海岸の小屋)、 第9話 ヒッピーの聖地(パーティー)、  第10話 ヒッピーの聖地(LSD)、 第11話 ヒッピーの聖地(朝の光と波の音は・・)、  第12話 インド人は親切だ?、 第13話 田舎を行く列車の旅、 第14話 変わり始めた片田舎の町、  第15話 皆既日食を見た!、 第16話 屋根の上のシタール弾き、  第17話 カルカッタにて、  第18話 ヒマラヤの旅(1)、 第19話 ヒマラヤの旅(2)、 第20話 ヒマラヤの旅(3)、  第21話 ヒマラヤの旅(4)、 第22話 ついに発病か?、  第23話 ポカラの公立病院、  第24話 旅先で発病した人たち、 第25話 酷暑、 第26話 日本は「ベスト・カントリー」だ!、  第27話 目には目を?、 第28話 沙漠の国、  第29話 「異邦人」の町、  第30話 沙漠に沈む夕陽、 第31話 アラーよ、許したまえ、 第32話 イランの印象(1)、  第33話 イランの印象(2)、 第34話 イランの印象(3)、  第35話 中東にはホモが多い?、  第36話 「小アジア」の風景、 第37話 イスタンブール到着、 第38話 国民総商売人、  第39話 銃撃事件、 第40話 旅の終わり、  最終話 帰路・あとがき