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■ 第33話  イランの印象(2)


イランでは全く英語が通じなかった。


イスファハンを夜出て、5月9日早朝シラーズ着。
有名なペルシャ帝国の遺跡ペルセポリスを見るつもりだった。

明るくなってからホテルを捜したが、ホテルに行って誰に何を聞いても「No」と言われるだけで全然埒があかない。

ホテルだけでなく、国の幹線交通機関であるはずのバスのターミナルでさえ全く英語が通じない。

やっと泊まれるホテルを見つけたが、指定された45号室というのがどこなのかわからない。

街中のあらゆる数字も、ホテルの部屋の番号も、普通の数字ではなくペルシャ文字で書かれている。数字すら読めない。

ペルセポリスへの行き方は、どこで誰に聞いてもわからず、結局あきらめた。
なんか・・・どうでもよくなってきた。


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シラーズの街には、ホメイニ師の神格化したような幼稚な大型ポスターがあちこちに貼り出され、バザールでは、昔のペルシャ帝国を描いた大きな絵を壁に貼り出し、その前である男が長々と、歌とも演説ともつかないようなことをがなっている。

人々はそれを取り囲んで見入っており、時々一斉になにかをうなっていた。

市内のモスクを見に行ったが、どれも改修工事中で見る影も無い。

なんともいえない殺伐とした気分にさせられる。


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イランの長距離バスはたいてい夜出て朝着くことが多い。

シラーズからテヘラン行きのバスも夜出て、朝(というよりも夜中)3時半頃テヘランに着いた。

しかも、なんにも無い街中の道路脇に止る。乗客は皆地元の人なのでそれぞれ行くところが決まっているが、私は夜中の3時半に街中で降ろされてもしょうがない。
タクシーはあるが、そういう時はボラれる。

5月12日、首都テヘラン到着。
いくらか英語のわかる学生に巡り合えて、彼から情報を得てアミールカビールホテルというところに泊まることができた。


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テヘランは当時人口500万人で中東最大の都市だった。

両替その他の用事で街中をかなり歩き回ったが、やはりハシシ売りもいたし、乞食もいる。

しかし立体交差の道路やビル、クルマの列など・・・まるで東京を歩いているかの如くの街並み。

朝や夕方には道路はクルマの列でラッシュになる。

道路わきにはたくさんの人々が並び、口々に自分の行き先を大声で叫ぶ。
一般のクルマも人々の列のわきをゆっくりと走る抜け、自分の行く方向と同じならクルマに乗せるのだ。

この国ではもちろんタクシーはあるが、一般のドライバーも皆タクシーのようなことをやっていた。本物のタクシーよりは安い。

だから地元の人はタクシーには乗らず、この「有料ヒッチハイク」を主に利用している。値段はすべて交渉で決まる。

国民全部が商売人という感じ。


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「水タバコ」の店に入って、実際に水タバコをやってみた。

飲酒が禁じられているから、水タバコの店が彼らにとっての「居酒屋」のようなものらしかった。

皆、幸せような顔をして、大きなガラスの容器から伸びたホースの先に口をつけて、水の中を通ってくる煙たくないタバコの「煙」を吸って、満足そうにくつろいでいる。

実際やってみると、どうということもなく特にうまいというわけでもなかった。
しかし、この「居酒屋」ならぬ「居煙草屋」が、男たちのにとっての唯一の娯楽の場らしかった。

男達はこんなことで満足しているのか・・・


イスファハンのシャーモスク



GPO(中央郵便局)に行って、日本からの手紙を受け取った。
実家からの手紙には「一日も早くイランを出よ」と書かれていて、随分心配しているようだった。

数週間前にアメリカ軍はテヘランで人質になっている大使館員を救出するため実力行使に出て、ペルシャ湾の空母からヘリ部隊を向わせたが、途中で砂嵐にあって作戦は失敗したのだそうだ。

アメリカが実力行使に出たことで、同盟国日本への感情もますます悪化するはずだからイランを出たほうがいい・・ということだった。





しかし、当の現地にいると別にイラン人が日本人を敵視しているようには見えなかった。

むしろ、飯をおごってくれたおばさんや、道に迷ったときに頑張ってタクシーに乗せてくれた労働者風の人、バスの隣で私が寒そうにしていると天窓を閉めてくれたり、コートを貸してくれたりした人・・・・

皆、英語を全く話せなかったが、親切にしてくれた。


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だが、すべての人がそうかというとそうでもない。

私にホテルを紹介してくれたテヘランの学生は、日本人は無宗教だと聞いているが・・と、さも不遜な民族だといわんばかりの態度だったし、

銀行の前ではある男が話しかけてきて、「日本とアメリカはこれか。」と言って両手をがっちりと握ったあと、「アメリカ、エジプト、カーター(当時の米大統領)、サダト(当時のエジプト大統領)、very very bad!」と言って興奮していた。  ちょっと怖かった。

同じようなことをイラン国内で数回言われた。


かと思えば、「今ワイフと子供がアメリカにおり、自分もアメリカにいたことがある。今度アメリカに行ってワイフと子供を連れて帰ることになっていたが、ビザがとれなくて困った。」という食堂のマスターに、アメリカをどう思う?と聞いて見たら、Good だと言う。

・・・人それぞれだ。


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同じホテルに2人の日本人が泊まっていたが、うち一人は、アフガニスタンを通過してきたそうだ。

そのときの話を彼から聞いた。概要はこうだ。

 ● バスは横の壁を装甲板で覆い、ジャララバードからカブールまでバスの前後を政府軍の戦車が護衛した。

 ● 途中で、銃を乱射しながら襲ってくるゲリラ軍と遭遇。ゲリラは、銃の狙いを定めるというより、四方八方に滅茶苦茶に打ちまくって襲ってきた。

 ● ミグと思われる戦闘機が上空を飛んでいた。
 
 ● バスの前の方から誰かが何かを叫んだら、乗客が皆頭を座席につけて潜り込んだ。自分も真似してもぐりこんだ次の瞬間、銃の射撃を受けて一斉に窓ガラスが割れた。

 ● そのときはそれだけで済み、なんとかカブールまで到着した。その後、カブールからカンダハル、ヘラートと移動し、イランのメシェッドにたどり着いた。



  ・・・やっぱりアフガンに行かなくて良かった。


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その彼がアメリカ大使館を見に行こうと言い出した。

ヤバイいんでないかなあと思ったが、怖いもの見たさの衝動には勝てず、いっしょに見に行った。

大使館の周りは当然厳重に警備されていて、簡単には近づけない。

下手に近づくと当然制止されるだろうし、取調べを受けるかもしれない。そんなのはご免だ。

だから大使館の眼の前までは行けないが、近くのビルの角からちょこっと頭を出して様子を見てみると・・・・

大使館の入り口にはうず高く土嚢(どのう)が積み上げられていた。

土嚢の内側から機関銃が2丁、外に向けられている。




彼がポケットからカメラを取り出した。

「おい、何をするんだ。やめろよ。」

「写真撮っとくんだ。」



私はあたりを見回した。幸い、今なら誰もみていない。

「早くカメラをしまうんだ。写真撮ってるとこなんか見られたら、ただじゃ済まないぞ。相当ヤバイよ。多分・・」

「勿体無い。折角ここまできたのに。」

「ダメだ。早く帰ろう!」



力ずくで彼を引っ張り出し、その場から遠ざかった。

臆病だって・・・?
臆病でも何でもいい。変な疑いをかけられて取調べられたりしたら大変だ。

こういう危険な人とはいっしょに行動しないほうがいいかも・・・


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テヘランを散歩していたら迷路のようなところに入って出られなくなったところ、
写真の子供が助けてくれた

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第3話  強盗だー! 第18話  ヒマラヤの旅(1) 第33話  イランの印象(2)
第4話  TOMODATI! 第19話  ヒマラヤの旅(2) 第34話  イランの印象(3)
第5話  聖地の大晦日 第20話  ヒマラヤの旅(3) 第35話  中東にはホモが多い?
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第8話  ヒッピーの聖地(海岸の小屋) 第23話  ポカラの公立病院 第38話 国民総商売人
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第10話  ヒッピーの聖地(LSD)   第25話  酷暑 第40話 旅の終わり
第11話  ヒッピーの聖地(朝の光と波の音は・・) 第26話  日本は「ベスト・カントリー」だ! 最終話 帰路・あとがき
第12話  インド人は親切だ? 第27話  目には目を?
第13話  田舎を行く列車の旅 第28話  沙漠の国
第14話  変わり始めた片田舎の町 第29話  「異邦人」の町
第15話  皆既日食を見た! 第30話  沙漠に沈む夕陽