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■ 最終話 帰路

1980年7月、ギリシャのアテネで買ったバングラデシュ航空の格安航空券をもって、ダッカ経由、カトマンズへ飛んだ。

飛行機はアラビア半島上空を通過する。雲が全くないため高い空の上を飛ぶ飛行機の窓から、アラビアの赤茶けた何も無い沙漠の大地が直接見える。

いったんアラブ首長国連邦のドバイ空港に着陸し、全員降りる。
空港内はとても立派で、テレビでよく見るようなアラブの民族衣装を着た人たちがたくさん行き来していた。こちらは「お金持ちの国」の代表。



再び離陸し、バングラデシュのダッカ空港着。
こちらはドバイ空港とは「雲泥の差」の「泥」の方だった。

国際空港というのに、空港内トイレはいわゆる和式で汚物が散らばりとても汚く、ハエがわんわん飛んでいた。ドバイ空港とのあまりの差が際立つ。

バングラデシュは世界で最も貧しい国のひとつだ。
案の定、空港を一歩出ると乞食たちがワーッと寄ってきて「タカ、タカ(お金くれ)
と騒ぐ。

一般乗降客とこれらの乞食たちを隔てる柵のようなものは何もないため、たちまち乞食たちに取り囲まれてしまった。
皆痩せていて、男の子供でも、服がないのか女の子の服を着ていたりする。当然ハダシだ。


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ダッカで1泊し、翌日飛行機を乗り換えてカトマンズへ。
空港の近くにある、バングラデシュ航空が経営するホテルに、乗り継ぎ客全員が宿泊した。宿泊代も航空券の料金に込みなのだ。

実はこのホテルが、旅に出てからこれまでに泊まった一番立派なホテルだった。
日本でいうところのいわゆる「ホテル」なのである。

夕食は、まるで晩餐会みたいな雰囲気だ。

10名くらいの乗り継ぎ客全員が、大きなホールのような部屋に集まり、航空会社のスタッフがホストとなり談笑しながらディナーを食べる。

インド人、タイ人、西洋人・・どの客も英語ペラペラで、時折り皆笑ったりして盛り上がっているが、私だけ英語力貧弱で会話についていけない。

椅子の後にはボーイが控えている。
何なんだこの雰囲気は・・・ これまでの旅とのギャップがありすぎて・・汗!




蚊帳の外だった私が取った行動は、テーブルにあった紙で折鶴を折り「バングラデシュ・エアライン!」と言って見せたことだ。
バングラデシュ航空のマークは鶴に似ているのだ。これを利用しよう・・・

ホストのおっさんは、折鶴を見ると立ち上がってつかつかと私の所にやってきたかと思うと、いきなり私を抱きしめ、

  「I love him ・・」


一応「晩餐会」に参加することができたようだ。 (^^ゞ



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カトマンズで帰りの飛行機の予約をし、7月8日、カトマンズを離れ日本へ。
来たときと同じようにバンコックで1泊だ。

来たときは空港で入国を拒否されて慌てたが、今度はその轍を踏まないよう、出来るだけピシッとした身なりをして、バンコックの入国ゲートを無事通過した。

旅の最後の晩だ。一人でバンコックの街中に飲みに行こう。

繁華街を歩いていたら、なにやらケバケバしい店の前で、「シロクロショー、ヤッテル」と日本語で語る者がおり、店に誘い込まれた。
白黒ショーとはどういうものかわからなかったが、中に入ったら、女性が裸で踊っている(@_@)

もしかしてここは高い店なのではないかと思い、少ししてから試しに清算をたのんでみた。
請求書が来た。目を疑った。桁違いにとんでもなく高い。




しまった、ヤバイ店に入っちゃった!


店の奥の方から「怖いお兄さん」たちが出てきそうなのがチラッと見えた。



どうする?  

次の瞬間、とっさの判断で入り口に走り、持っていたタイバーツ(現地通過)の小銭をカウンターに置いて外に出、後ろを見ずに一目散に走って逃げた。


繁華街を全力でしばらく走った。疲れ果てて息もあがりゼーゼーするまで走ってから振り返った。  追ってこなかった。

来たときといい、帰るときといい、バンコックは「走って逃げる」街のようだ。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

7月9日、飛行機は成田空港に着陸。 205日ぶりに日本に帰ってきた。

雨が振っている。とても新鮮だ。
これまで毎日晴れの連続だったため、雨を見たらいかにも日本だ。



荷物チェックのため並んでいて私の番になった。
係員は聞く。
「どこに行って来ましたか。」

「インドと中東です。」

「期間はどのくらいですか。」

「約半年です。」

「一人ですか。」

「はい。」



すると係員は私の後ろに並んでいる人たちに向って、

「はーい、この人はちょっと時間がかかりますので、別のゲートの方にお並び下さーい!」



後ろの人たちはぞろぞろと移動し、このゲートは係員と私の一対一の勝負になってしまった 。


「はい、荷物を全部ここに開けてください。」


係員は私のザックの中の荷物を全部、ひとつひとつすべて調べている。
寝袋の中にも手を突っ込んでごそごそやり、裁縫道具まですべて袋から出し、針刺しまで指で触ってチェックする徹底ぶり。

何も持っていないって・・・(^_^;



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

空港から東京都内へ向うスカイライナーに乗る。

列車は音も無く滑り出し、車内の人々はそれぞれ新聞を読んだりしているが、誰も何も話さない。静かだ。

異様な雰囲気だ。列車の中はがやがやとうるさいのが当たり前になってしまっていたので、とても異様に感じる。これが日本なのだ。


なにはともあれ、こうして205日間の旅が終わり、無事に帰ってきたのでした。






■ あとがき


インドなどの地域については、学校でカースト制度や飢饉のことばかり強調されて教わったせいか、現地に行くまで、人々は悲壮な暮らしをしているのだろうと思っていました。

実際に行ってみると、もちろん経済面・衛生面その他もろもろでは日本よりはるかに立ち遅れているものの、特に若者や子供の生き生きとしていること、その目の輝き、笑顔は、日本よりはるかに素晴らしいものがあります。

悪いことをする子供がいれば、周りのおとながちゃんと注意するし、街頭で蛇使いなどの見世物があって人垣が出来るときなども、誰が何を言うわけでもないのに、いつの間にか子供たちが前列を、その後に大人たちが・・・というふうに自然に出来上がっていました。

ある意味秩序があり、日本の社会のほうがギクシャクしているようにも思います。



インドやネパールの大半の人たちは、家電製品などの「モノ」がほとんどない状態で暮らしていましたが、

例えば一枚の布切れをズボンみたいにしたり、毛布がわりにしたり、サリーみたいに着たり、まるめてお金入れにしたり、頭にのせて荷物を運ぶ台にしたり・・・

サリーひとつとっても実にいろいろな使い方があり、それをなにげなくやっている彼らを見ていると、単一の用途にしか使えないモノが溢れている日本とつい比べたくなるのでした。

どっちが本当に豊かな文化で、どっちが幸せなんだろうと考えてしまいます。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

旅をしているといいことばかりではなく、むしろ腹の立つようなことの方が多かったです。
お金があまりない旅なので、時には野宿やキツイ行程もあるし、タクシー料金などをめぐって現地の人との喧嘩ごしのやり取りも頻繁・・

セットされた観光旅行じゃないから、自分で考え行動しなければ何もできないし何もはじまらないけれど、手助けしてくれる人もいるし、まさに一期一会の素適な出会いもあります。

情けなくなるような思いもしばしば。でも大きな感動もある。だからこそ面白い!!




一人旅は、こちらが対象物をみてやろうというよりは、対象物によってこちらの心が試され、揉まれ、洗われるようなものだと思います。


グルメやショッピングなどの、いつもの価値観の中で行なわれるモノ探しや、快適さを目的とした旅ではなく、

一生に一度くらい、別な価値観を探し、自分を探す旅、未知の世界への一人旅もいいもんです。


       [ 完 ]



 
帰国後のパスポート
すっかり文字が剥げ落ちて見えなくなった




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第2話  入国拒否 第17話  カルカッタにて 第32話  イランの印象(1)
第3話  強盗だー! 第18話  ヒマラヤの旅(1) 第33話  イランの印象(2)
第4話  TOMODATI! 第19話  ヒマラヤの旅(2) 第34話  イランの印象(3)
第5話  聖地の大晦日 第20話  ヒマラヤの旅(3) 第35話  中東にはホモが多い?
第6話  泥棒もひとつの「職業」! 第21話  ヒマラヤの旅(4) 第36話 「小アジア」の風景
第7話  船旅 第22話  ついに発病か? 第37話 イスタンブール到着
第8話  ヒッピーの聖地(海岸の小屋) 第23話  ポカラの公立病院 第38話 国民総商売人
第9話  ヒッピーの聖地(パーティー) 第24話  旅先で発病した人たち 第39話 銃撃事件
第10話  ヒッピーの聖地(LSD)   第25話  酷暑 第40話 旅の終わり
第11話  ヒッピーの聖地(朝の光と波の音は・・) 第26話  日本は「ベスト・カントリー」だ! 最終話 帰路・あとがき
第12話  インド人は親切だ? 第27話  目には目を?
第13話  田舎を行く列車の旅 第28話  沙漠の国
第14話  変わり始めた片田舎の町 第29話  「異邦人」の町
第15話  皆既日食を見た! 第30話  沙漠に沈む夕陽