キリギリスの雑記帳
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北上川の川下り
( part 2 )

過去の旅シリーズ 
昭和59年(1984年)の夏、3日間のお盆休みを利用し、岩手県北上市から宮城県石巻市を目指し、ゴムボートで北上川下りを決行したときのお話です。
ゴムボートで北上川を下る

第二章 岩手県を流れる(前編)


出航


装備も準備が整い、はるばる長野県から向山君も合流した。

出発の日はお盆だったが、職場の上司・同僚がわざわざトラックを出して、我々とボートや筏(いかだ)を国見橋まで運んでくれた。


なんだかんだ言っても、いくつになっても、男達ってこういうことが大好きなんじゃないのかな。

見送りと称して来てくれた彼らも、本当に笑顔だ。

国見橋のたもとで川下りの出航
出航地点の国見橋にて


「元気で行って来いよ~! 無事に帰って来いよ~!」

何と声を掛けられたかはもちろん忘れたが、きっとこんな感じで見送られたんだろうな・・

おおらかな時代、おおらかな人たちだったのだ。(^^)


ゴムボートを川に浮かべ、膝まで水に浸かりながら二人ともゴムボートに乗り込む。

せっせとオールを漕いで、流れの速い川の中央部に向かう。滑り出しは順調だ。

川下りのスタート


北上川をゴムボートで宮城県に向けて川下り


この写真は見送りの同僚が撮ってくれたもの。


よく見ると、川下りをするというのに二人ともライフジャケットを付けていない!

海や川でこういうことをするなら、ライフジャケットは最低限の装備ではないのか!

余りにも川を、大自然を甘く見た行動。 なんというバチ当たりな輩であろうか!




・・・って、自分のことなんだよね。(^_^;

というわけで、記事の最初に掲載した注釈を再度掲載しよう。

注意!

このお話は、現在の社会情勢やコンプライアンスに照らしてみれば多分に不適切な内容が含まれますが、作品のオリジナリティーを尊重し、事実をありのままにお伝えいたします。(笑)




危機は最初にやってきた!


大自然を甘く見ていたこの不届きな若者二人は、出航直後に最大の危機に見舞われることになる。

国見橋から3kmほど南下すると、北上川が大きく左に曲がる。

六原のカーブである。直角よりもやや鋭角なカーブで、流れも速い。

googlemap 北上川の六原の急カーブ


我々の乗ったゴムボートは流れに任せてカーブに吸い込まれていったが、もちろん操船の作業はする。

このカーブの外側は流れも速くて波が立っているうえに、護岸として波消ブロックが積まれていたから、あんなのに激突したら大変だ。

こういう箇所は、当然ながら流れの穏やかな「カーブの内側」を通過するのがベストなので、我々はオールを漕ぎ、ゴムボートをカーブの内側に向かわせようとした。



ところが、思ったようにゴムボートが進んでくれない!

海でオールを漕ぐと簡単に移動できたのに、ここでは全然思い通りにならないのである。


そうか! 筏(いかだ)が邪魔をしているんだ。

ゴムボート単独なら軽快に動き回れるのに、筏という重量物と連結しているため軽快さが失われてしまっているらしい。

それに加えて、ゴムボートの底にはお風呂マットが沈んでおり、これも水の抵抗を大きくしているようだった。


当初想定したよりはるかに操船しにくいことに気付いたときは既に遅く、ゴムボートは本流の流れに乗ってどんどん護岸の波消ブロックに向かっていった。行く先には白波が立っていて流れが速い!


ゴムボートは波で上下左右に揺れたが、転覆するほどではない。それよりも波消ブロックに衝突するほうが怖い。衝撃で本当に転覆するおそれがあるからだ。


ここに至り、ゴムボートをカーブの内側へ移動させることは諦めた。

持っていたオールはボートを漕ぐために使っても無駄だ。それよりももっと大事なことに使おう。近づく波消ブロックを突いて衝突を免れるのだ。


ボートは本当に波消ブロックのギリギリのところを通過していたので、向山君と必死になってオールで何度かブロックを突いて突き放し、難を逃れたのだった。


無事にカーブを抜けきり安堵した頃、気のせいか真正面に座っている向山君の表情が変わったような・・・

言葉は発しないが、何かを訴えているように見えてしまうのだ。



先輩、北上川を流れに任せながら、のんびり旅をしようとか言ってましたよね。

釣りでもしながら、のんびり河口まで下ろうとか言ってましたよね。

これのどこが「のんびり」なんですか?

流れに任せて」いたら、命が危ないんじゃないですか?


あ~、欺された!

来るんじゃなかった!!



・・とでも言ってそうな、無言の圧力を感じてしまうのであった。(汗)




実際この場所(=六原のカーブ)では、我々が川下りをした1週間後くらい(だったと記憶しているが・・)に、事故があり人が一人亡くなっている。

北上川で漁業(?)をするために新しく作った小さな木造船で川に出たところ、やはり波消ブロックに激突して転覆し亡くなったらしい。

木造船はゴムボートよりも衝突時の衝撃は大きいだろうから、悲劇の状況は想像がつく。怖い・・



こうして当時の思い出を文章にしてみると、自分の過去の行いが客観的に見ていかに「若気の至り」であったかが分かる。
(汗)

結果的に無事だったから良かったけど、万一事故を起こしていたら、自分だけなら自業自得だから仕方ないとして、向山君まで巻き込んでしまえばその責任は計り知れない。
(大汗)

まあ40年も前のことなので、深刻に考えず「今となっては楽しい思い出話」として受けとめよう。
(^_^;



水面にいると遠くが見えないのだ


何でもそうだけど、自分で実際にやってみて初めて気付くことはあるもの。

ゴムボートで川下りをしてみて気が付いたことの一つに、

目線が低いため遠くまで見通せない!

というのがあった。


普段、陸(おか)に居るときは堤防の上から川を眺めたりしているわけだが、そういう時ってずっと遠くの様子まで分かるのに、自分が川の水面ぎりぎりの位置にいると、遠くの様子が分からない。


これで困るのは、行く先に大きな石が露出したりしていても、直近になるまで気が付かないこと。


あと、中州(なかす)があって川が2本に別れるところは良く出てくるが、そういう場所は大きな方の流れに乗っていくのが良いのに、直近まで気が付かないといつの間にか細い方の流れに乗ってしまうこともある。

googlemap 北上川の中州


細い流れってのは浅かったり石が多かったりと、あんまり良いことはない。


なので、地図を持っているとはいえ常に行く先を注視していなくてはならないため、なかなか緊張感があった。

でも楽しかった。こういう一種の冒険的な旅は「程よい緊張感」がある方が面白い。



実際、三日間にわたるこの川下りの旅では、出航後最初に現れた「六原のカーブ」はかなり怖かったものの、その後は特段怖い目に遭うことはなく、程よい緊張感の中で操船して川下りを楽しんだ。

スキーと同様に、何も動力がないのに進んでいく面白さ!

やっぱり水の上に浮かんで流されていく感覚は楽し~~い!


国土交通省によれば、北上川の「中流域」は盛岡市の都南大橋から一関市狐禅寺までだそうだ。

今回の旅の前半は「中流域」を下ったわけだが、出航地点の北上市から一関市までが、川下りを心から「楽しい」と感じられる区間だった。
中流域は適度に瀬と淵が現れ、変化があって飽きないしボートを操船する楽しさがある。(^^)

逆に、中流域から先、一関市以南は川の流れが本当に単調で、飽き飽きしてしまうほどだった。



上陸地点探し


さて、初日は朝から出てきたわけではないので、あまり遠くまで下ることは出来なかった。

水沢を過ぎ前沢付近まで来た頃から日が傾いてきたので、今宵のねぐらを探さなければならなかったのだが、これも一筋縄ではいかなかった。


まず第一に

上陸に相応しい地点が少ないこと!


北上川の両岸というのは、ほとんどが河畔林で覆われていて、ゴムボートが接岸し上陸できるような状態ではない。

だから上陸しやすい砂礫の浜のようなところを探すのだ。


河畔林が途切れた砂礫の浜状の箇所は時々現れるものの、前述のとおり水面近くにいる自分たちからは遠くまで見えないため、上陸適地を見つけたときにはすぐ近くまで来ており、慌ててオールを漕いでゴムボートを接岸させようとしても時既に遅し!・・・となることが何度か繰り返された。


そして我々は徐々に焦ってきた。


日はどんどん傾き、あたりは暗くなり始めているのに、未だに上陸できないからだ。

上陸適地を見つけたらすぐに接岸できるようゴムボートを岸近くに寄せてしまうと、岸近くというのは流れが遅くてボートが速く進んでくれず、時間だけが過ぎていくため、それはそれで焦る!

かといって川の中央付近に戻ると、流れは速くて上陸適地も良く見つかるけれど、接岸まで時間がかかって目的の場所を通過してしまう・・・といった具合。


最悪、上陸できないまま川の中で真っ暗になってしまったら?

もう想像しただけで恐ろしい!


向山君と二人、焦りに焦ってやっと小さな浜にゴムボートを接岸させることが出来たときは夕闇ぎりぎりだった。
 (^_^;


北上川ゴムボート川下り
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