北上川の川下り
( part 3 )
昭和59年(1984年)の夏、3日間のお盆休みを利用し、岩手県北上市から宮城県石巻市を目指し、ゴムボートで北上川下りを決行したときのお話です。
第三章 岩手県を流れる(後編)
北上川原人?との遭遇
初日の夜は上陸が遅かったことと、町まで遠そうだったことから、川縁の小さな空き地で質素に野営し、翌朝早くから出航した。
二日目の朝というのはいいもんだ。
登山のときも、初日は大変な思いをして稜線まで登るが、二日目の朝は起きた瞬間から大自然のまっただ中にいることになり、素晴らしい朝日や雲海を眺めたり、清々しい空気の中で雲上の散歩道を歩くことになる。
来て良かった! と思える瞬間が、大抵は二日目の朝にやってくるのだ。
この川下りもそうだった。
早朝から出航した我々は、やはり清々しい空気の中で朝日にきらめく水面を眺めながら、動力を使わずにただ流されていく快感の中にいた。
川の中にいると町は見えない。川の両岸は大抵の場合、河畔林に覆われているか土手になっているかなので、水面ぎりぎりにいる我々からは、橋でも現れない限り人工物がほとんど見えないのだ。もちろん人とも出会わない。
そのような非日常的な光景の中で、時々オールを漕いでゴムボートが向かう先を微調整する。楽しい~!
来て良かった!!
しばらく流れていたら、川の左岸の小さな砂礫の浜に人影が見えた。
しゃがみ込んで川の水で顔を洗っているようだった。
えっ、こんな早朝に北上川のほとりで顔を洗うだって! と、少し驚きながら彼を見てみると、
その風体はまさに、この大自然の非日常的空間にぴったり溶け込んでいるではないか!
髪も髭も伸びており、長い髪は後ろで束ねていた。シンセサイザー奏者の「喜太郎」さんに近いような風体。
年の頃は不明だが、おそらく20~30代くらいか・・若そうだ。
その雰囲気はいかにも、
俺はここで自給自足の生活をしてるんだ
無農薬・自然エネルギーだぜ
日の出とともに起き日没には寝る
・・とでも言ってきそうな、原始の風格が漂うお方であった。
(;゜д゜)
そして彼は我々の接近に気付いていなかった。
しゃがみ込んでいて顔が下向きだったし、我々の方は水面を音もなく流れていたので、目を合わすことが無かったのだ。
そのとき我々は川の中央ではなく左岸に近いところを流れていたので、岸からの距離はせいぜい2~3mといったところ。
我々もこの原始人のような人物に興味津々だったが、なんだか声をかけると襲われて食べられるんじゃないか、という一抹の不安があったので、黙っているうちに丁度彼の真正面まで来てしまった。
その距離、わずか2~3m
それでも彼は気付かず、そのまま少し下流に流れたところで彼は顔をあげ、やっと我々の存在に気が付いた!
と、突然
うぉーーーーーーー!
と叫びだし、我々を追いかけ始めたではないか!!
イメージ
こちらも何と声をかけて良いかわからず、ただじっと彼の方を見ているうちにゴムボートはどんどん下流へ流されていくが、彼も負けじと川縁を走って追いかけてくる!
我々は好奇心と恐怖心が半々の、不思議な気持ちでそれを眺めていたが、やがて砂礫の浜が切れて河畔林になってしまったので、彼の追跡はそこで終わり、我々からも彼が見えなくなってしまった。
「あの人はいったい何だったんだ?」
と、向山君としばしこの話題で盛り上がる。なんだか夢をみていたような不思議な出来事だった。
いるんだなぁ~ 世の中にはああいう変人が・・
ダラけた川下り
早朝から出航したため、日が高く上る頃にはだんだん飽きてきて、さらに川も特段危なそうなところもなく、二人とも中弛み状態で注意力が散漫になっていた。
二人のうちどちらも
俺が主体的にボートを操船してやる!
という気概も責任感もなく、オールを漕ぐことも無くただボーッとして浮かんでいた。
ふと、ゴムボートが上流に向かって進んでいるような気がした。
まさかと思ってよく見たら、やっぱりゴムボートがゆっくりと逆流している。
そんな馬鹿な!
確かに我々は同じところをグルグル回っているようだった。
良く見ると川の右岸から、海で言うところの突堤のような出っ張りが何本か出ていて、突堤と突堤の間では渦を巻くような流れが出来ているようだった。
我々のゴムボートはいつの間にかそこに入っていたわけだ。
なんだ〜 時間をロスしちゃったよ!
ここから脱出するのは、少し漕いで川の中央へ戻れば良いだけなので簡単だったが、こうなるまで気付かなかったことに少し反省
このようにダラけてしまったのは、暑さのせいもある。
何しろ季節は 夏真っ盛り
川下りっていうと、水飛沫を浴びながら豪快に激流を下る、いわゆるラフティングを想像するかもしれないが、
北上川中流域の川下りなんて、水飛沫を浴びることもない淡々としたもの。
川なのですぐ隣に大量の水があるけど、水に触れているわけじゃなし。
真上から夏の太陽光を、遮るものも無く何時間もひたすら浴び続けるだけなのだ。
そうなると当然、喉が渇いてくるしダラけもするさ。
飲料水は持参してるけど、欲しいのはそれじゃないんだよなぁ〜
「おい向山、そろそろ飽きてきたし、上陸して買い物して来ようぜ!」
適当な浜を見つけて右岸に上陸し、お店を探して町の方へ歩いて行った。
町はたいてい川から離れているため、店はなかなか見つからず、平泉の町中で酒屋を見つけて買い出ししボートに戻った時には、既に一時間くらいかかっていた。
また時間をロスしちゃったよ。
川の様相が一変
再び出航し少し下ると、そこから先は北上川の狭窄(きょうさく)区間となる。
一ノ関の狐禅寺から宮城県境付近まで続くこの区間は、北上川の中流域と下流域に挟まれた特殊な区間で、両岸まで山が迫り、川幅はやや狭まって深さがあり、瀬はほとんど無くてすべてが淵のようなところ。
川の勾配もここから急に緩やかになるため、流れは遅く、川下りの雰囲気もこれまでの中流域とは全く違ったものになった。
ちなみに北上川の上下流は、国土交通省によると、「源流域」、「上流域」、「中流域」、「狭窄区間」、「下流域」に区分されるようで、そのエリアは以下のとおり。↓
- 現流域は源流から盛岡市の四十四田ダムまで
- 上流域は盛岡市の四十四田ダムから都南大橋までで、とても短い
- 中流域は盛岡市の都南大橋から一関遊水地付近までで、かなり長い
- 狭窄区間は一関遊水地付近から岩手宮城県境付近まで
- 下流域は岩手宮城県境付近から河口まで
※ 上記画像ともども、国土交通省資料より引用
狭窄区間に入ると、これまでのように常に前方を注視しながら岩や浅瀬を避けて本流の流れに乗るようボートを操る楽しい作業は全く無くなり、ただ水の上にボケ〜っと浮かんでいるだけの川下りになってしまった。
危険を感じるようなことも全く無く、一言で言うと
しかし真夏の太陽は相変わらず真上から照りつけている。
我々は退屈な水面の上でただただ陽に照らされているだけ。
こうなると、さっき上陸して買い出ししてきたものが活躍するのだ。
プシュッ! グビグビ
プハーーー!
うんめぇーーー!!
ただし、飲んで良いのは一人だけである。
ほぼ安全な区間といえども、誰か一人は正気な奴がいないと流石にマズイだろう。
この旅のリーダーは俺だ。そして俺は向山より3年も上の先輩だ。
力関係からいって、飲める人間は自ずと決まってくるノダ。 これでいいノダ。
2本3本と飲んだら眠くなってきた。
「向山、俺ちょっと寝るからよう〜 頼んだぞ。」
そう言ってこの最低不届き野郎はゴムボートの上で横になり、頭はボートの外周の膨らみに乗せ、膝の内側をもう一方の膨らみに乗せて足は川に投げ出し、顔の上にタオルを乗せて眩しい太陽光を遮り、快適なお昼寝タイムを満喫したのであった。
真夏の昼下がり、暑くて退屈な時間帯に一人操船を任された向山君は、この素晴らしい先輩を見て何を思っただろうか?
ドウガネブイブイと月見草の夜
一ノ関から宮城県境まで続く北上川の狭窄区間であるが、途中の川崎村に一箇所だけ狭窄ではない場所がある。
川幅が広がり大きな砂州が出来ているので、単調な流れに飽き飽きしていた我々は、わざと砂州にボートを乗り上げさせて上陸した。
なにしろ狭いゴムボートなので、ただ何時間も乗っているだけでも疲れるのだ。
ここでしばし陸地に立って歩き回る感覚を楽しみ、軽く体操などして体をほぐしてから再び川に入った。
さらにしばらく下ると宮城県境付近だ。
昨夜は上陸が遅れて焦ったので、今日は暗くなりかける前の今のうちに良いポイントを見つけて上陸してしまおう。
そうして時間に余裕を持って上陸した我々は、川べりではなく、右岸の少し高台になった台地の上まで荷物を運んで快適に野営することが出来た。
今は便利な世の中で、世界中のどの場所でもGoogle mapで航空写真を見ることが出来るから、あらためて北上川の宮城県境付近を見てみた。 多分この場所だったんだろう。↓
川に突き出た台地になっていて、ほぼ平坦地。田畑が広がっている。
この農地の横にテントを張りキャンプの準備をしていたら、多分畑の持ち主だろうけどどこかのオッサンが通りかかり
お前ら何処から来て何やってんだ?
って感じで声をかけられた。
こういうシチュエーションって、現代なら人様の土地に勝手にキャンプしようとしてる若者を土地所有者が叱り付けるって感じになるんだろうけど、
この時代、そして運良くこのオッサンもおおらかなお方で、迷惑だという素振りは全くなく、我々の素性と旅の目的を話すと、
ほ~、面白れーことやってんじゃねーか
みたいな感じだった。(^^)
もっとも、当時の我々のキャンプというのは、キャンプブームと呼ばれる現代のキャンプとはだいぶ様相が違い、
便利でカッコいい「キャンプギア」なんてものは無く、学生時代に日本アルプスを登山していたときの必要最小限のサバイバル的な装備しかない。
「キャンプ」というより「野営」と言った方がしっくりくる。食べ物もたくさん持ち込めないから質素だった。
そういう質素な野営をしていたところ、夕方お会いしたあのオッサンが再び現れた。
食べ物飲み物を抱えて、差し入れに来てくれたではないか!
もう40年も前のことなので、どんな中身だったか忘れたが、とにかく嬉しかった。
質素な野営が豪華なキャンプに変わった!
おかげでその晩は、向山君と遅くまで呑み語り、楽しいひとときを過ごしたのだった。
周囲には月見草がたくさん咲いており、コガネムシのような甲虫がたくさん寄ってきた。
ドウガネブイブイだぁ~
向山君は昆虫に詳しい。テレビの「ムシムシ大行進」も欠かさず見ていたというくらい虫好きだ。
ドウガネブイブイという名前は向山君から教わったんだが、名前が面白いので今でも覚えている。
ドウガネブイブイ
ウィキペディアより引用
そして向山君は絵も上手い! 学生寮時代は彼の素晴らしい個性的な絵を何度も見せられたものだった。一目みたら忘れられないような、ダイナミックで可愛さもある不思議な絵を描くのだ。
後日、彼から「ドウガネブイブイと月見草の夜」と題した絵手紙が届いた。
残念ながら、引っ越しが多かった40年もの歳月の中でその絵手紙は紛失してしまったが、今思い出しても、ほのぼのと趣のある向山君らしい絵であった。
さて、明日からは宮城県で、北上川の下流域になる。
今日の後半から流れるスピードがガクンと落ちたので、明日一日で石巻まで行けるだろうか?
いいや、この調子じゃ絶対無理そうだな。有給をもう一日延ばしてもらわないと無理だろう。
向山君は日程が延びてもOKだそうだが、問題は俺の職場の方だ。
明日の流れ方の様子をみながら、何処かで上陸して職場に電話を掛け、休みを延長してもらおう。
直属の上司である科長は、出航の際にトラックを出して国見橋まで送ってくれたくらい、こういう行動にものすごく理解あるお方だ。絶対大丈夫だろう。よし、それで行こう!
こうして北上川の岩手県区間は、ドウガネブイブイと月見草の夜で楽しく幕を閉じたのだった。
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